医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • 2018.03.13
  • 「病気を診る」から「人生全体を診る」へ。 リハビリテーションの視点から 老人介護のイノベーションを目指す
  • 未来を先取りして介護事業の世界をリード

    アゼリーグループ 社会福祉法人江寿会・医療法人社団東京平成会・学校法人アゼリー学園 理事長 来栖 宏二(医学博士)

     

    日本医科大学へ入学し、当時はまだメジャーとは言えなかったリハビリテーションを専門に選んだ来栖宏二さん。その世界のパイオニアであった竹内孝仁教授との出会いによって、老人介護の世界へ乗り出しました。なぜこの世界に身を投じたのか、また医師の目線で見た介護医療とはどのようなものか、今後の展望も含め、率直に語っていただきました。

     

    往診に行くお医者さんのかっこよさに憧れて

    ー医師を目指すきっかけについてお聞かせいただけますか。

     両親は幼稚園を経営していたのですが、自宅の敷地内に貸家を持っており、そこに父の親友の医師が2年ほど住んでいました。まだ独立・開業される前で、地域の病院に勤務されていたので、毎日のように顔を合わせていました。循環器内科がご専門でした。その人が大きなカバンを持って往診に出かけるところをしばしば目にして、「かっこいいなぁ」と感じていました。それが医者という職業を意識した最初ですね。小学校2年生ぐらいだったと思います。
     

    ーそれはずいぶん早いですね。

     小さい子が警察官や消防士に憧れるのと一緒だと思います。自分のなかでは当時から「将来は医者になろう」と決めていたような気がします。
     

    ー具体的に医師への道を歩もうと決断されたのはいつ頃ですか。

     理系の教科を選択したという意味では高校時代になると思いますが、小学校のときからその決意は変わりませんでした。ずっと医者になることを目指していたので、理系を選ぶことは自然な成り行きでしたね。
     

    ー高校時代はどのような日々を過ごされましたか。

      中学時代は、文武両道が校風の学校へ通っていたので、勉強だけでなくバスケットボール部に所属してスポーツにも打ち込んでいました。でも、高校へ進むと一変しました。というのも、入学した高校が県内屈指の進学校で、優秀な生徒が一堂に会していて、クラブ活動をしていたのではとても彼らについていけないと感じました。
     
     覚えているのは最初の数学のテストで、いきなり大学入試レベルの内容の問題が出たんです。とても難しく、平均点は30点という有様だったのですが、それでも優秀な生徒は70~80点取っていた…。これで最初に頭をガツンとやられまして、「世の中には本当に出来るヤツがいるんだな」と衝撃を受けました。いいか悪いかは別として、試験のたびに順位が貼り出されたり、誰がどこの大学に入ったという情報が掲示されたりというような環境でした。周囲が一所懸命やっている雰囲気もあって、自然と勉強に打ち込むようになりました。
     

    入試までに終わらないカリキュラムを独学で勉強

    ー得意な科目、不得意な科目というのはありましたか。

     英語が得意でしたね。国語や社会も好きで、試験で学年1位を取ったこともありますよ。文系の大学入試でもイケたかもしれません。逆に数学が苦手でした。でも、入学試験に通る程度の理系学力は必要ですが、医学部へ進む上ではあまり文系、理系という区分けは関係ないような気がします。
     
     私が進んだのは県立高校だったのですが、入試までに高校のカリキュラムが終わらないのです。2年生までに高校3年分のカリキュラムを終えて、3年では入試用の勉強に集中する中高一貫の進学校とは違います。そのため、各自が独学で勉強しなければならない部分が多かったという気がします。今思えば、1年の最初に難しい試験を出して、生徒の頭をガツンとやるのは、そのせいだったのではないかと感じています。
     

    ー塾や予備校の講習には通われましたか。

     予備校の夏期講習、冬期講習には行きました。予備校がある御茶ノ水まで通うのに片道1時間半もかかるので、時間のロスが大きく、普段はずっと独学で勉強していましたね。
     

    ー独学を続けるには大変な克己心が要りますね。息抜きには何を?

     スポーツ観戦、特にプロレスをよく観ていました。プロレスは今も好きですよ。あとは洋楽、いわゆるポップスを聴くのも好きでした。80 ~ 90年代は洋楽の全盛期で、当時の曲は歌詞も覚えているので、今でも歌えますよ(笑)。
     

    ー大学入試ですが、何校ぐらい受験されましたか。

     現役で国公立が筑波大、私立は日本医大、順天堂大、昭和大の3校でした。国公立は当初、千葉大学を目指していたのですが、共通一次試験の成績があまりよくなかったので、筑波大学に志望先を変更したのです。ただ、筑波大の二次試験は小論文だけという変則的なもので、これもうまくいきませんでした。私立は全て合格し、結果として日本医大に進むのですが、これは限りなく第一志望に近い学校だったので、合格したときはすごく嬉しかったですね。
     
     あとでお話ししますが、都心にある大学に通えたのは幸いでした。それに日本医大は、子どもの頃に伝記で読んだ野口英世が学んだ学校ですし、憧れた医師 – 父の親友が卒業した学校でもあり、その先生もたいへん喜んでくださいました。
     

    ー入試の際にはご両親に相談なさいましたか。

     いいえ。特に相談した覚えはなく、「ここを受験するから」という報告をしただけだったと思います。小さい頃から医者になりたいと言っていましたから、両親もそうなるものだと思っていたのではないでしょうか。ちなみに私は3人きょうだいで、3人とも医者になっているんです。兄は岩手医大、妹は北里大学を卒業しています。妹は私と同じ高校から推薦で進学したのですが、それには私の進路が多少は影響しているかもしれません。
     


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