医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • n_水野-07
  • 2017.04.22
  • 大切なのは「人間力」。信頼される薬剤師の育成に東奔西走の毎日をおくる
  • 町の「お気に入り薬剤師」を目指せ!

    有限会社メディック代表取締役 水野 敦典(薬剤師)

     

     東京薬科大学を卒業し、薬剤師として田辺製薬(当時)の営業職や国との折衝役という仕事を経て、現在はセミナーの講師や薬局のコンサルティングなどで全国を飛び回っている水野敦典先生。ところが意外にも人とコミュニケーションをとることが苦手な少年時代を過ごしたといいます。現状の薬剤師業界に危機感を訴える水野先生が歩んできた道のりと、これから求められる薬剤師像について話を伺いました。

     

    やんちゃだった高校時代 停学処分になったことも!

    ー 現在、薬剤師の人材育成に関するセミナーや勉強会などを主催し、また講演会で講師を務めるなど活躍していらっしゃいますが、昔から周囲を引っぱっていくタイプだったのでしょうか。

     とんでもない、まったくの逆です。小学生の時はクラスメイトと全然関われなくて、よほどのことがなければ話もしないぐらいでした。
     そもそものきっかけは名前です。僕の名前は「のぶおき」と読むのですが、入学した時に先生が正確に読んでくれませんでした。たしか「あつのり」と呼ばれたと思います。僕も子どもだったから「みずの・のぶおき」って呼ばれないと自分のことだとは思わなくて、返事をしなかったんですね。それが原因かどうかはわかりませんが、先生から変わった子扱いされてしまって、親が呼び出されたこともありました。
     子ども心に意地になっていたのかもしれないけれど、小学校の6年間は友達といえば近所に住んでいる数人だけというありさまでした。さすがにこのままではまずいと親も思ったらしく、中学校は隣の学区に越境入学することになりました。そこから少しずつ活動的になっていきました。
     

    ー どのような中学生、高校生生活をおくら れたのでしょう。

     中学では放送部に入って全校アナウンスをしたり、文化祭で放送劇をプロデュースしたりしていましたし、友達とつるんでやんちゃなこともしましたよ。やっと年相応の無邪気さが出てきたというか。
     高校は独協高校に進学しました。当時、独協中学・高校には医者の子弟が多く進学しており、うちも父親が医者だったのでその意向もありました。1学年は7クラスで、1クラスだけ第一外国語がドイツ語でした。日本の医学はかつてドイツ医学が中心だったこともあり、僕も父親のすすめでドイツ語クラスを選びました。
     

    ー お父様の影響で、将来は医学の道に進も うと考えていたのですか。

     いや、全然考えていませんでしたね。自分の将来に対して、こうなりたい、ああなりたいとか、そういうことをまったく考えていませんでした。高校生の時も、毎日を楽しく過ごすことが最優先。出欠をとったら教室の小窓から外に出て、授業をさぼって遊びに行くなんてしょっちゅうでしたね。学校行事の一泊旅行では、夜に宿舎を抜け出して街をうろついたり…真夜中に帰ってきて、こっそり窓から宿に入りましたっけ。そんなこんなであまりに悪さが過ぎて停学処分を2回くらいました。次に停学になったら退学だって親に泣かれて、さすがに襟を正しましたけれど(笑)。
     

    ー 大学受験では、どのように進路を決めたのでしょうか。

     やはり父親の影響もあり、最初は北海道大学と信州大学の医学部を受験しました。信州大学は落ちたけれど、北海道大学は合格しました。でも、当時は今みたいに交通の便がよくなかったから北海道はものすごく遠いところという感覚があって、浪人を選びました。2年目は信州大学と日本大学の医学部、それと東京薬科大学を受験しました。日大の医学部は合格したのですが、私立だから学費が高かったんですね。医者といっても当時、父は開業をやめて東京都の公衆衛生に従事していたので、そんなに高い学費は払えないということで、東京薬科大学への進学を決めました。

     

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