医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • 2018.04.16
  • 愛と希望を与える人になりたい。若い頃の夢を胸に生きる薬剤師
  • 医療のすき間を埋めるのは薬剤師の役目

    有限会社イコマメディカル 生駒 俊明(薬剤師)

     

    宮崎県宮崎市内で「さくら薬局」「チェリー薬局」の2店舗を経営し、薬剤師でもある生駒俊明さん。明るく前向きで、行動的なお人柄ですが、人生には多くの紆余曲折があったといいます。薬剤師を目指したきっかけから、神戸での大学生活、地元宮崎で薬局を開業するに至るまでの道のりを、振り返っていただきました。

     

    部活とアルバイトで充実した学生生活

    ーどんな少年でしたか。

    子どもの頃から植物、生き物が大好きでした。小学3,4年生の頃、自分から養鶏組合に出向いて、お小遣いでひよこを10羽買って、親を驚かせたことがあります。ちゃんと
    面倒をみて、立派に育て、農家をやっている祖父の家に引き取ってもらったんですよ(笑)。
    勉強は決して好きというわけではありませんでしたが、数学と化学が得意でした。典型的な理系少年ですね。
     

    ー薬剤師を目指したきっかけは?

    父親が薬種商(やくしゅしょう。薬を調合・販売する店または人)で、医薬品販売を行っていまして…。現在は「旧薬種商」と言われますが、昔の薬種商は、指示書があれば
    薬も処方でき、取るのが難しい資格だったようです。うちは兄も薬剤師になりましたので、父の影響が大きかったと思います。私自身は県立高校で理系クラスに進み、当時はまだ宮崎に薬学部のある大学がなかったので、神戸学院大学に入学しました。
     

    ー学生時代の思い出はありますか?

    ギターがうまかった兄の影響もあり、クラシックギター部に入りました。年に一度、定期コンサートがあったのですが、演奏するだけでなく、照明などの裏方やチーフマネージャーみたいなこともやりました。パンフレットに載せる広告を取ってきたり、営業活動をしたり…今の職業につながるようなことをしてますね。この経験は勉強になりました。

    短期間のアルバイトもしました。当時建設中だった神戸ポートアイランドの埋め立て工事や解体作業とか。製鉄所でバイトしたこともあります。実家の薬局の手伝いで、重い物をよく運んでいたので、肉体労働は苦になりませんでした。

    アルバイトで貯めたお金は、趣味のスキーやクラシックギターに使っていました。実は私の妻は大学の同級生なのですが、妻との出会いもあり、楽しい学生生活でした。

    当時、薬学部は4年制でしたので、4年間で卒業して、国家試験も一発で合格することができました。
     

    「自分たちで薬局をやろう!」35歳のときに独立

    ー卒業後、製薬メーカーに勤められたそうですね。

    4年生のときに就職説明会があり、そこで製薬会社に就職した先輩の話を聞いて、自分もその道に進む決意をしました。当時は病院や薬局に就職する人が多かったのですが、製薬会社のほうがアクティブなイメージがあったので、そういうところで働きたいと思ったのです。大日本住友製薬に入社し、大阪本社で営業・医薬情報担当者として4年半勤務しました。
     

    ーそれから宮崎にUターンされた?

    そうです。将来は帰ってきてほしいという親の意向もありましたし、当時の仕事が営業職で、接待が多く、終電で帰る日も珍しくない有様で…たまに9時前に帰宅すると、妻に「どうしたの? 体調でも悪いの?」と言われる始末でした(笑)。そういう家庭生活を立て直したいという思いもあり、宮崎へ帰ることにしました。

    最初は児湯郡の実家に戻ったのですが、頑固な父と一緒に家業をやるのは難しく、折り合いが悪くなってしまったんです。結局一年ほどで実家を出て、宮崎市の宮崎医療センターで働くことにしました。そこで3年ほど勤めた頃、調剤薬局で働かないかと誘われ、管理薬剤師として勤務することになりました。その後、2年ほどでまた別の調剤薬局から声がかかり、雇われ社長となって2年働き、35歳のときに独立しました。
     

    ーそこが一店舗目の「さくら薬局」ですね。

    はい、そうです。前々から妻と、雇われる身より自分たちで思いどおりの薬局をやりたいねと話していたんです。医薬品の問屋さんなど、知り合いにも声をかけて情報収集し、タイミングを見ていました。そんななか、住宅供給公社が分譲する宅地の医療ゾーンで、病院と薬局の募集があるという話を聞き、それに申し込んだのです。医療ゾーンでは歯科、内科、整形外科、そして私どもの薬局が開業し、のちに耳鼻咽喉科も入りました。
     

    ー苦労されたことはありますか?

    土地を買って建物を建てたので、かなりの借り入れが必要でした。借り入れを返せるかどうか、患者さんがコンスタントに来てくれるか、不安でした。今でもよく覚えていますが、初日に来た患者さんの数が5人。しばらく一桁台が続き、本当にやっていけるのかととても心配でしたが、半年ほどで軌道に乗りました。

    妻との二人三脚で開局し、2017年の12月でまる25年になりました。今では二人の息子も薬剤師となり、家族で薬局を経営するまでになりました。
     


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