医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • matsuo_ph1_ishiyaku
  • 2016.11.15
  • 時代は「歯女」! 歯のケアから健康寿命を延ばすことが歯科医師の使命
  • 日本アンチエイジング歯科学会
    会長 松尾 通(歯科医師・歯学博士)

     

    この道40年というベテランの歯科医師でいらっしゃる松尾通先生。1980年代に「スマイル運動」を提唱され、日本の審美歯科の先駆者として知られています。4つの拠点で歯科クリニックを開業されているほか、日本アンチエイジング歯科学会をはじめ、様々な分野との交流を図る学会・協会のファウンダーとしても活躍。そのパワーの秘密、そしてこれからの歯科医療のあり方について、おおいに語っていただきました。

     

    父が勧めなかった歯科医を自ら志す

    ――お父様も歯科医でいらっしゃったそうですね。

     私は生まれてから5歳まで、東京新宿区の百人町という閑静な住宅地で過ごしました。その後、戦争が激しくなり父の実家のある佐賀県武雄市に疎開し、高校卒業まで過ごしました。父は長年、日本歯科大学の教官でしたが、私が高校生になる頃には佐賀県立病院で勤務医として働いていました。大学の進路を決める時に、叔父が弁護士をしていたこともあり、弁護士になろうと最初は法学部を受験し、いくつかの大学に合格しました。

     

    ――お父様は「歯科医になれ」とはおっしゃらなかったんですか?

     それがまったく言われなかった。父からは、「歯科の分野は遅れているから、医師がよいのでは」とアドバイスされました。でも私は逆の発想で、「遅れた分野だからこそ将来性があるのでは?」と思ったんです。そこで日本歯科大学を受験し、合格しました。父は私が自分の意思で歯学部の門を叩いたことに驚いたようですが、快く送り出してくれました。

     

    人間的な成長を促してくれた「和敬塾」

    ――学生生活はいかがでしたか?

     それがね、こんなことを言ったらいけないのかもしれないけれど、勉強そのものはあまりおもしろくなかった(笑)。歯学部は歯科医になるための養成学校ですから、幅広い全人教育とは違うんですね。それに比べて総合大学はおもしろそうだなと。そこで、目白にある和敬塾という男子寮に入塾しました。
    和敬塾は人間形成を行う場として建てられた学生寮で、6年間、私はいろんな大学の優秀な学生たちと切磋琢磨しながら共同生活を行うことで視野が広がったのだと思います。この経験が現在の私のベースになっていると言っても過言ではありません。学会をオーガナイズしたり執筆をしたりといった現在の活動につながっていると思いますね。

     

    29歳でクリニックを開業

    ――卒業後はどういった進路を進まれたのですか?

     歯科医師国家試験に合格したあと、修行のために東京医科歯科大学の専攻科に進み、2年間の臨床実習を行いました。父から「いずれ一緒にクリニックを開こう」と言われていたのですが、いつまでたっても父が勤務医を辞めようとしなかったので、しびれを切らして29歳の時に大田区の池上という所に小さなクリニックを開設しました。

     

    ――若くして開業されたのですね。クリニックの経営は順調でしたか?

     それが開業から1年半後、車の運転中にトラックに追突されてむちうちになり、40日間入院することになってしまって…。退院後、治療の便を考えて、クリニックを自宅から近い所に移したいと思い、そうしたら偶然にも、移転先の候補になっていたビルが和敬塾の理事長の持ちビルだったんです。そこで一も二もなく移転を決意しました。

     

    ――現在は目黒、山王など合わせて4か所開設されていらっしゃいます。

     後輩たちが「勉強をさせてほしい」と次々にやってくるので、だんだんと増えてしまったのです(笑)。3人の子どもたちも、2人の息子は歯科医師、真ん中の娘は医師になったので、現在では私と息子たちとで診療所を運営しています。

     


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