医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • tokusyu04
  • 2019.05.27
  • 薬剤師たる資質をブラッシュアップして新たな地位を確立せよ!そこに次代を担う存在意義がある
  • 薬を売るのではない、人間力で向き合うべし

    阪神調剤ホールディング株式会社
    代表取締役社長
    岩崎 壽毅(薬剤師)

     

    一代で巨大な調剤薬局グループを築いた岩崎壽毅社長は、薬学部出身の薬剤師であり、3600人以上の従業員を抱える企業阪神調剤ホールディングのトップでもある。インタビューを通して感じたのは、常に探求心を忘れない攻めの姿勢。そして、人の長所を見極める達人だということ。社会や世相の変化に伴い、医療・病態をめぐる情況は変わり、それと共に調剤薬局の在り方も変わらざるを得ない局面に入ったという。それを迎え撃つ人物にふさわしい岩崎社長に、これから求められる薬局と薬剤師像を聞いた。

     

    戦後初の医薬品合弁会社日本レダリーに入社

    ーまず初めに薬学部を受験した理由を教えてください。

    本当は東京大学や京都大学あたりに進学したいと思っていました。IQがとても高くて先生も驚くくらいで…ところが中学からずっと野球をやっていて、高校3年の夏まで部活を続けていましたから、受験勉強をするにはさすがに時間が足りませんでした。それでたまたま試験を受けて合格した大阪薬科大学に進学したのです。

     

    ーご実家は和歌山県の商家だそうですね。ご両親から進路選択で言われたことはありますか?

    いや、進学に関して言われたことはないですね。ただ、大学卒業後の進路に関しては父親から「社会人としてやりたいことをやればいい」とアドバイスされました。大学院に進学して博士号をとることも考えたのですが、早く社会に出たい気持ちもあり、就職の道を選びました。

     

    ー就職先は、日米企業が合弁で設立した製薬会社だったとか。

    はい、日本レダリー株式会社は武田薬品工業とアメリカのアメリカン・サイアナミッド・ カンパニーが、1953年に戦後初の医薬品会社として設立した合弁会社です。当時日本には抗生物質が少なく、武田薬品がアメリカから導入することになりました。ところが外資が自由化されていなかったので合弁会社を作ったんですね。私は武田薬品からの転籍という形で就職しました。
    武田薬品工業は日本でもナンバーワンの製薬会社でしたし、アメリカン・サイアナミッド・カンパニーも当時のアメリカではトップクラスの企業でした。その2社が合弁会社を作ったのですから、これはすごい会社になりそうだと思いました。それに将来アメリカに行けるという夢もありました。今ほど海外旅行が一般的ではなかった時代に、これは大きなモチベーションになりましたね。

     

    MRとしてメキメキ頭角を現し営業成績は常にトップ!

    ー具体的にはどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

    仕事の内容は今でいうMR(医療情報担当 者)ですね。MRはドクターと話をするのが仕事です。当時の大学病院はドラマ『白い巨塔』のような世界。そのトップである教授の先生方と、我々MRは名刺を出せば会ってもらえるし、話ができる。毎日が楽しくて仕方がありませんでした。しょっちゅう会いに行って話をすることで先生方の信頼を得、売り上げも上がる一方でした。日本レダリーでは営業成績は常にトップ、社長から何年も表彰され続けましたよ。

     

    ー実際にどのようなお話をされたのですか?

    自分の知らないことをどんどん聞く「質問魔」でしたね。例えば心臓の手術で動脈にできた血栓をどんなふうに取るんですか…とか。

     

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