医系大への羅針盤 医歯薬進学

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  • kuroda_07
  • 2018.06.11
  • 薬局勤務・開業・学校薬剤師 +結婚+子育て→転居→復職。 疾風怒濤&喜びの薬剤師生活!
  • 自然治癒力UP で人々の健康に寄与したい

    ホワイトハウス株式会社 取締役 石田智子(審美歯科医)

     

    薬剤師の黒田涼子さんは九州大学薬学部を卒業後、鹿児島県内の有名薬局に就職。薬品分析の力を買われての入社でした。退職後、出身地・種子島で自然志向の薬局を開きます。結婚、出産、子育てと、地元に根をおろしたのも束の間、とある事情で千葉県に転居。復職してドラッグストアに勤務。そして昨年、再び自分の理念に沿った薬局の開業にこぎつけます。フレキシブルに住まいや働き方を変えて自分なりのスタイルを貫く黒田さんに、そのパワーの秘密を伺いました。

     

    病に苦しむ母の姿を見て医療従事者の道へ

    ー薬剤師を志したのは、どんなきっかけだったのでしょうか。

     私が幼い頃から母親がリュウマチを患っていて、いい漢方薬や療法を求めて全国をあちこち訪ね歩く姿を間近で見ながら育ちました。でも痛み止めとかの対処療法しかなく、母は苦しがっていて…。いつか医療の道に進んで母の助けになりたいと思ったのが原点にあります。

     

     とは言っても、最初から薬学部を志望していたわけではありません。出身である種子島の中学から鹿児島の進学高校に入って、現役のときには歯学部を受験したのですが、一期校の受験がうまくいかなかったんです。二期校の鹿児島大学理学部に合格したものの行く気になれず、親に頼んで一年浪人させてもらいました。翌年、一期校をどこにするか決めるときに最後まで歯学部か薬学かで迷ったのですが、九州大学の薬学部に決めて、無事に入ることができました。

     

    ーどんな学生時代でしたか。

     バドミントンに明け暮れていました。当時、バドミントン部には女性が少なく、3人しかいなかったので、男子と一緒にハードな練習をこなしていました。旧帝国大学のリーグ「七帝戦」というのがありまして、定期戦をしに全国あちこち遠征したりして、楽しかったですね。

     

     当時は、国立大の薬学部では国家試験対策というのはまったくなく、皆独学でした。先輩から国家試験対策についての申し送りみたいなものがあり、特に学部内は先輩後輩の仲がよかったので、いろいろ教えてくれました。それだけで受かったという感じです。

     

    ー大学卒業後は就職されたのですね。

     はい、鹿児島のさかもと薬局に就職しました。「黒酢」で有名な坂元醸造の現会長が、国立鹿児島病院の隣に開いた薬局です。その会長(当時の社長)が九州大学薬学部の出身だったのと、私の大学での専門が薬品分析で、そこで黒酢の研究も行っていたので、スライド的に入社が決まりまして。さかもと薬局では相談業務を行うことが多かったですね。3年半ほど勤めたのちに、故郷の種子島に帰りました。

     

    念願の自然派薬局を開き、子育てに奮闘しながら働く

    ー種子島で薬局を開業されたとか。

     地元では、両親が昔から映画館をはじめいろいろと商売をやっていたのですが、ちょうど私が帰る頃、実家を建て直してビルにする話になりました。そこで、両親の経営するプロパンガス会社と父がやっていた看板屋、姉がやっている音楽教室と一緒に、ビルの一角に薬局を開局させてもらいました。昭和60年のことです。

     

    ーいわゆる調剤薬局ですか?

     漢方薬や自然食、健康食品などを取り入れた、健康志向・自然志向の薬局です。化学的な薬品を使った対処療法で痛みなどの症状を取るのではなく、体の中からよくしていこうというコンセプトです。さかもと薬局時代の伝手で九州自然食品協同組合に入り、活動していました。

     

     自然治癒力にこだわるのは、母のためというのがあります。母は、自分の食事は後回しで台所に立ち、家族の食事を作り続けているような人でした。ちょっと甘いものをつまむだけで、バランスが悪いというか…。そういう姿を見ていて、私なりにやはり体にいい食事が大切だと痛感していました。

     


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